​安倍晋三宅火炎瓶投擲事件(ケチって火炎瓶事件)

-福岡地裁小倉支部平成19年3月9日判決を中心に-

​本判決から分かること

①安倍晋三議員の秘書Wはかねてより被告人Bと交友があったこと

②Bは、服役中に知り合った暴力団組長Aと交友があったこと

③Bは、秘書Wに対し,平成11年下関市長選挙で対立候補を当選させないように活動して貢献したと主張して金員の支払いを要求し,300万円の提供を受けたこと

​④秘書WがBに300万円を供与した行為は、(対立候補の当選阻止活動を安倍晋三議員側が依頼したかどうかに関わりなく)公職選挙法221条1項3号(買収罪)に該当する可能性があること

注)公職選挙法では、選挙運動に従事する者は、自発的かつ奉仕的に運動を行うもので、原則として選挙運動の対価として報酬を得てはいけないとしています。(豊後大野市のホームページ(http://www.bungo-ohno.jp/docs/2015010800081/)より)

本判決から推測できること

①対立候補の当選阻止活動は、安倍晋三議員側がBに依頼したこと

​∵報酬がもらえるかどうかも不明なまま、Bが依頼もされずに自発的に当選阻止活動をすることは考えにくいから。

​②安倍晋三議員側が依頼した(と推測できる)対立候補の当選阻止活動は、刑法上の名誉棄損罪(刑法230条1項)や公職選挙法上の虚偽事項公表罪(公職選挙法235条1項)に該当する違法な選挙運動であったこと

​∵適法な選挙運動であれば、敢えて前科のあるようなBに依頼する必要がないから。

事件の概要
​ 安倍晋三衆議院議員に恨みをもっていたB(土地ブローカー)は、知り合いの暴力団組長Aに依頼して、平成12年(2000年)6月から8月にかけて、A配下の組員に同議員の後援会事務所などへ火炎瓶を投げ入れさせた。Bは、Aらとともに、非現住建造物放火未遂の罪で起訴され、有罪判決が確定した(福岡地小倉支判平19.3.9(以下本判決という))。

 

<登場人物> 人物符号は本判決に記載されているものをそのまま使用

 被告人A-指定暴力団D組長

 被告人B-Aと服役中に知り合って親交がある者、有限会社Sの実質的経営者、W秘書とも親交あり、平成30年(2018年)出所

 被告人C-D組副組長、放火の実行犯

 被告人E-D組組員、放火の実行犯

 被告人F-Aの義弟、D組組員、放火の実行犯

 G議員-安倍晋三衆議院議員、内閣官房副長官(当時)

 W秘書-G議員の秘書、Bと親交あり、物故者

 X候補-下関市長選挙候補者、G議員派の市長候補者と対立関係にある

 U-有限会社Sの従業員

 Y社長-Aの知り合いの内装工事会社の社長

​従業員U  B

​W秘書   G議員

親交あり

​後に金銭トラブル?

服役中に知り合う

X候補の中傷ビラ配布を依頼?

指定暴力団D組

A組長 C副組長

​E組員 F組員

​対立関係

​G議員の後輩政治家

X候補

Bが安倍晋三議員事務所に放火した動機は?
 放火については、安倍晋三議員は被害者である。しかし、本件放火事件は、安倍晋三議員と全く交友がない者が政治思想上の理由で同議員事務所に放火したというような事件ではない。秘書WとBは親交があったのだから、安倍晋三議員側とBとの間で何らかのトラブルが発生し、安倍晋三議員側の対応に憤激したBが放火したと考えるのが自然である。トラブルがBの一方的な難癖によるのか、安倍晋三議員側にも原因の一端があるのかはさておき、安倍晋三議員側が、知り合いの暴力団員に放火を依頼するようなBと付き合っていたことは確かである。
 Bが安倍晋三議員事務所に放火した動機については、判決文の最後に要約されている。それによると、「前記2で認定した事実によれば,被告人Bは,G議員側に金銭を要求したが,G議員側からそれを拒絶され,かえって恐喝未遂の疑いで逮捕されるに至ったことに恨みを持ち,当初は,損害賠償請求や虚偽告訴を理由とした示談を弁護士を通じて行い,多額の金銭を得ようとしていたが,それができないとなると,懇意にしていた被告人AにG議員への報復を依頼し,その被告人Aが,報復の実行をCに指示し,・・・」とある。要するに、判決文を読む限りでは、Bと安倍晋三議員側の間に生じた金銭トラブルが放火の動機である。
 
 

どのような金銭トラブルだったのか?

 放火の動機となった金銭トラブルの内容についても、判決文に記載がある。それによると、

 「ア 被告人BがG議員に対し,怨恨を持つに至った経緯(証人U,乙4,7)

 自己の経営するSの資金繰りが苦しかった被告人Bは,G議員の地元秘書でかねてから交際していたW(以下「W」という。)に対し,平成11年に行われた下関市長選挙で自派と対立するX候補を当選させないように活動して貢献したと主張して金員の支払いを要求し,300万円の提供を受けた。
 その後,被告人Bは,同年8月7日,借金の取立てに絡む傷害罪で逮捕されたところ,さらに,被告人B及びSの従業員U(以下「U」という。)は,同月30日,Wに対する恐喝罪で逮捕されたが,同年9月21日に起訴猶予処分となり,Uは同月26日に釈放され,被告人Bは同年10月26日に上記傷害罪につき保釈された。
イ 被告人Bと被告人Aとの面談等の状況(証人U,証人Y,甲72,73,87,88)
 被告人Bは,平成11年10月下旬ころ,被告人Aと再会し,同人に対し,恐喝事件の件でG議員の秘書にはめられたなどと述べた。その後も,被告人Bは,被告人Aに対し,G議員の秘書にはめられたと述べたのに対し,被告人Aは,お金がないなどと自身の窮状について述べるとともに,知り合いの内装工事会社の社長Y(以下「Y」という。)へ仕事を紹介するよう依頼した。
 被告人Bは,同年11月初旬ころに,Yに対し知り合いの業者を紹介し,そのころから同月中旬にかけて,Yに対しても,被告人Aに述べたのと同様に,下関市長選でX候補をG議員側から頼まれて当選させないよう活動したのに,G議員の秘書にはめられて警察に逮捕された,決まっていた仕事も流れてしまった,その点の補償もさせる,許せんなどと恨み言を言っていた。」

​ 要約すると、裁判所は、①Bは、G議員派と対立するX候補を当選させないように活動して貢献したとW秘書に主張したこと、②W秘書はBに300万円を支払ったこと、③BおよびUはWに対する恐喝罪で逮捕されたが、起訴猶予処分となったこと(つまり、BがWを恐喝したことは立証できるが、検察官は敢えて起訴しなかったということ)、④Bは、AやYに対して、「下関市長選でX候補をG議員側から頼まれて当選させないよう活動したのに、G議員の秘書にはめられて警察に逮捕された」と述べたことを事実として認定している。

「下関市長選でX候補をG議員側から頼まれて当選させないよう活動した」というBの発言が仮に正しいとすれば、G議員側は刑事責任を負うか?

 本判決は、Bらの放火罪に関する判決であり、Bらの恐喝罪や選挙犯罪に関する判決ではない。本判決からはBの活動内容が不明なので、G議員側が刑事責任を負うかも不明である。

そもそも、下関市長選でX候補を当選させないような活動が行われていたのか?

 本判決は、この点について言及していない。しかし、X候補を誹謗中傷するビラが頒布されたのは事実で、X候補は被疑者氏名不詳のまま、名誉棄損罪で下関警察署に告訴している。

「下関市長選でX候補をG議員側から頼まれて当選させないよう活動した」というBの発言が仮に正しく、かつBの活動内容がX候補を誹謗中傷するビラの配布であったとすれば、G議員側は公職選挙法上刑事責任を負うか?

​ 総務省のウェブサイトには、「選挙運動のために使用する文書図画は*、インターネット等を利用する方法により頒布する場合を除き、公職選挙法第142条に規定された一定のもののほかは、頒布することができません。・・・違反した者は、2年以下の禁錮又は50万円以下の罰金に処することとされており(公職選挙法第243条第1項第3号)、選挙権及び被選挙権が停止されます(公職選挙法第252条第1項・第2項)。」(http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/naruhodo/naruhodo10_1.htmlより引用)と記載されている。公職選挙法第142条の規定を読むと、頒布できるビラは選挙管理委員会に届け出る必要があるが、他候補を誹謗中傷するビラを選挙管理委員会に届け出る者はいないであろう。したがって、G議員側は、「第百四十二条の規定に違反して文書図画を頒布した者」として刑事責任を負うと考えられる(公職選挙法243条1項3号違反)。法定刑は、二年以下の禁錮又は五十万円以下の罰金である。

 さらに、ビラに記載されていた誹謗中傷の内容によっては、「当選を得させない目的をもつて公職の候補者・・・に関し虚偽の事項を公にし、又は事実をゆがめて公にした者」(公職選挙法235条2項)に該当し、G議員側は虚偽事項の公表罪(公職選挙法235条2項)に問われる可能性がある。法定刑は、四年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金である。

 

 

「下関市長選でX候補をG議員側から頼まれて当選させないよう活動した」というBの発言内容は正しいか?

 本判決で審理された犯罪事実は、BらによるG議員事務所の放火であり、BとG議員側による選挙犯罪ではない。本判決はBがAに放火を依頼したかどうかに力点を置いており、「下関市長選でX候補をG議員側から頼まれて当選させないよう活動した」というBの発言内容が正しいかどうかに力点を置いていない。本判決の記述のみから、Bの発言内容が正しいと断定することは難しいと思われる。

​ 一方で、本判決は、証人U、乙4号証、乙7号証を証拠として、「G議員の地元秘書でかねてから交際していたW(以下「W」という。)に対し,平成11年に行われた下関市長選挙で自派と対立するX候補を当選させないように活動して貢献したと主張して金員の支払いを要求し,300万円の提供を受けた」ことを事実として認定している。「下関市長選でX候補をG議員側から頼まれて当選させないよう活動した」というBの発言内容がでたらめなのであれば、Wは300万円をBに支払う理由がない。したがって、本判決の記述のみからでも、Bの発言内容は正しいと推測することはできる。

G議員は「下関市長選でX候補を当選させないように活動せよ」という指示を直接Bにしたのか?

​ 本判決にそのようなことを示唆する記述は存在しない。Bの発言は、G議員「側」から頼まれた、というものに過ぎない。

「被告人Bは,G議員の地元秘書でかねてから交際していたW・・・に対し,平成11年に行われた下関市長選挙で自派と対立するX候補を当選させないように活動して貢献したと主張して金員の支払いを要求し,300万円の提供を受けた。」という事実を裁判所は認定しているが、G議員側は刑事責任を負うか。

 総務省のホームページによれば、「選挙運動とは、「特定の選挙について、特定の候補者の当選を目的として、投票を得又は得させるために直接又は間接に必要かつ有利な行為」とされている。Bは、平成11年に行われた下関市長選挙という特定の選挙について、G議員派の候補者を当選させる目的で、X候補(対立候補)を当選させないように活動したので、Bの活動は「選挙運動」に当たると考えられる。「選挙運動をし・・・たこと・・・の報酬とする目的をもつて・・・選挙運動者に対し第一号に掲げる行為(金銭その他の財産上の利益の供与など)をした者は、買収罪に問われる(公職選挙法221条1項3号・1号参照)。法定刑は三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金である。

 Bは選挙活動をしたと主張して金員の支払いを要求し、W秘書は、300万円をBに供与しているので、G議員側は刑事責任を負う可能性が高いであろう。

BがG議員側から交付されたのは、300万円だけだったのか?

 本判決で審理された犯罪事実は、BらによるG議員事務所などの放火であり、Bらによる恐喝ではない。そのため、G議員がBに交付した財産上の利益について、本判決が細かく言及しているわけではない。本判決において、G議員側からBに交付された財産上の利益として具体的に明示されているのは、W秘書がBに交付した300万円の金銭だけである。

 しかし、「被告人Aは,同年3月中旬ころまでの間に,Fに対し,下関でのG議員に対する追い込みの仕事は,うまくいけば1億円,少なくとも5000万円の報酬が得られる旨述べた。」という記載や「被告人Bは,同月19日ころ,Uに指示して,下関市長選に関する件及び恐喝事件等について納得のいく回答及び説明を求める文書を作成させ,回答期限を同月末としてG議員側に対して送付したものの,G議員側からは何らの回答もなかったので,同年6月1日ころに同月10日を期限として回答を求める文書を再度送付したが,やはり回答はなかった。」という記載、さらに「被告人Bは,下関市長選や大手スーパーマーケットの進出のために計画道路の変更を求めていたことなどを巡り,G議員側とトラブルになっており,金銭的解決の要求が満たされなかった」という記載が判決文にあるので、G議員側は、300万円を遥かに上回る財産上の利益をBに交付することを約束していた可能性がある。なお、財産上の利益供与の約束だけでも、公職選挙法221条1項3号の罪(買収罪)は成立する。

 いずれにしろ、G議員側がBに約束した財産上の利益が大きければ、G議員側がBに依頼したX候補当選阻止活動の悪質性が大きかったと推測できるので、G議員側がBに交付することを約束していたのが300万円に留まるのかどうかは重要な論点となろう。

​福岡地小倉支判平19.3.9

(犯罪事実)
第1 被告人Aは,指定暴力団D組長,同Bは,同Aと親交を結ぶ者,同Cは,上記D組副組長であるが,被告人3名は,E及びFと共謀の上,同Bが恨みを抱いていた衆議院議員Gの後援会事務所あるいはG方に火炎びんを投げ入れてこれらに放火しようと企て,
1 平成12年6月14日午前3時13分ころ,山口県下関市a町b丁目d番e号付近路上において,ガソリンを注入したビールびん2本の口部に布片を装着して点火装置とした火炎びん2本にそれぞれ点火した上,H株式会社所有に係る総合結婚式場I(鉄筋コンクリート造5階建,床面積合計約7865.22平方メートル)を前記後援会事務所の入居する建物と間違え,同I3階東側窓ガラスを目掛けて,これらを投げ付け,うち1本を同窓ガラスに命中させたものの,同窓ガラスを損壊したにとどまり,他の1本は同窓ガラスに命中させることなく,その付近の壁面に打ち当てて発火炎上させたにとどまり,もって,火炎びんを使用して人の財産に危険を生じさせたが,現に人が住居に使用せず,かつ,現に人が居ない上記Iを焼損するに至らなかった
2 同月17日午前3時ころ,同市f町g丁目h番i号の前記G方敷地内において,ガソリンを注入したビールびん2本の口部に布片を装着して点火装置とした火炎びん2本にそれぞれ点火した上,同人所有に係る同人方車庫付き倉庫棟(鉄筋コンクリート造陸屋根2階建,床面積合計約124.99平方メートル)の車庫を目掛けて,これらを投げ付け,うち1本を同車庫内で,他の1本を同車庫出入口付近でそれぞれ発火炎上させ,その火を同車庫内外に駐車中のNほか2名所有に係る普通乗用自動車3台に燃え移らせるなどし,もって,火炎びんを使用して人の財産に危険を生じさせたが,通報により駆けつけた消防士が消火したため,同車庫内壁を高熱によりはく落させ,同普通乗用自動車3台を全半焼させるなどしたにとどまり,現に人が住居に使用せず,かつ,現に人がいない上記車庫付き倉庫棟を焼損するに至らなかった
3 同月28日ころ,同市j町k丁目l番m号の前記後援会事務所敷地内において,株式会社J所有に係る同事務所(木造瓦葺及びスレート2階建建物,床面積合計約421.25平方メートル)1階東側窓ガラスをレンチホイールで叩き割るなどし,ガソリンを注入したビールびん2本の口部に布片を装着して点火装置とした火炎びん2本のうち1本を同窓内側に差し入れてぜん板上に置いて点火したものの,発火炎上することなく終わり,引き続き,他の1本は,点火した上,同事務所1階南側窓ガラスを目掛けて,これを投げ付け,同窓ガラスに命中させたものの,同窓ガラスを損壊したにとどまり,もって,火炎びんを使用して人の財産に危険を生じさせたが,現に人が住居に使用せず,かつ,現に人がいない上記建物を焼損するに至らなかった
4 同年8月14日午前4時1分ころ,同市j町k丁目l番m号の前記後援会事務所敷地内において,ガソリンを注入したビールびん1本の口部に布片を装着して点火装置とした火炎びん1本に点火した上,株式会社J所有に係る同事務所(木造瓦葺及びスレート2階建建物,床面積合計約421.25平方メートル)1階南側窓ガラスを目掛けて,これを投げ付け,同窓ガラスに命中させたものの,同窓ガラスを損壊したにとどまり,もって,火炎びんを使用して人の財産に危険を生じさせたが,現に人が住居に使用せず,かつ,現に人がいない上記建物を焼損するに至らなかった
5 同日午前4時23分ころ,同市n町o丁目p番q号の前記G方敷地内において,ガソリンを注入したビールびん1本の口部に布片を装着して点火装置とした火炎びん1本に点火した上,同人所有に係る同人方車庫付き倉庫棟(鉄筋コンクリート造陸屋根2階建,床面積合計約124.99平方メートル)の車庫を目掛けて,これを投げ付け,同車庫内に駐車中の上記G所有に係る普通乗用自動車に命中させたものの,同車を損壊したにとどまり,もって,火炎びんを使用して人の財産に危険を生じさせたが,現に人が住居に使用せず,かつ,現に人がいない上記建物を焼損するに至らなかった
第2 (省略)←本件と無関係な犯罪事実

(判示第1の各事実に関する事実認定の補足説明)
1 はじめに
 判示第1の各事実について,被告人Aは,自己が犯行に関与したことは認めるものの,知人の暴力団組員であるRに犯行を指示したのであり,被告人C,E(以下「E」という。)及びF(以下「F」という。)には犯行の指示をしていないとして,C,E及びFの犯人性及び同人らとの共謀を否認し,被告人Bは,他の共犯者との共謀を否認して,自己は判示第1の各事実に一切関与してないと主張し,Cは,判示第1の各事実には何ら関与していないし,他の共犯者とも共謀していない旨主張するので,以下検討する。なお,判示第1の1の事件を下関第1事件,判示第1の2の事件を下関第2事件,判示第1の3の事件を下関第3事件,判示第1の4の事件を下関第4事件,判示第1の5の事件を下関第5事件といい,第1の1事件から第1の5事件までを併せて本件各下関事件という。

2 認定できる事実
 前掲関係各証拠によれば,以下の事実を認めることができる(括弧内には,認定に供した主な証拠を摘示した。)。
(1)ア 各共犯者間の関係[証人F,乙2,6,23]
 被告人Aは,本件各下関事件が発生した当時,指定暴力団D組組長であり,Cは,同組副組長であり,Fは,被告人Aの妻の弟であったことから,平成11年11月ころ,同組組員となり,本件各下関事件が発生した当時,被告人Aの実子分として活動していた。
 Eは,平成12年の初めころから,同組に出入りするようになり,同年5月上旬ころには,同組組員となり,同月11日に刑期を終えて出所したCの下で活動するようになった。
 被告人Bは,本件各下関事件が発生した当時,有限会社S(以下「S」という。)の会長として実質的に同社を経営しており,服役中に知り合った被告人Aとも親交を結んでいた。
イ 本件各下関事件の被害場所の状況(甲1ないし4,14ないし17,28ないし33)
 下関第1事件の被害場所である総合結婚式場I(以下「I」という。)は,山口県下関市h1町i1丁目j1番k1号に所在し,百貨店及び専門店街が入居する商業施設Tの南側に軒を接して建てられた鉄筋コンクリート造5階建,床面積合計約約7865.22平方メートルの建物であり,同市l1町m1丁目n1番o1号所在のG衆議院議員(以下「G議員」という。)後援会事務所から北方約400メートルの地点にあり,同事務所と同じく交差点に面した角地に立地する。
 下関第3及び下関第4事件の被害場所であるG議員後援会事務所は,前記場所に所在し,V駅東方に広がる大規模商業施設や倉庫が多くある場所に位置する床面積合計約421,25平方メートルの木造瓦葺及びスレート葺2階建建物である。
 下関第2及び下関第5事件の被害場所であるG議員宅は,丘陵地の住宅地域内である同市p1町q1丁目r1番s1号にあり,本宅と別宅が隣接し,その間に被害を受けた車庫付倉庫棟(床面積合計約124.99平方メートル,鉄筋コンクリート造陸屋根2階建建物)がある。
(2)本件各下関事件発生前の状況
ア 被告人BがG議員に対し,怨恨を持つに至った経緯(証人U,乙4,7)

 自己の経営するSの資金繰りが苦しかった被告人Bは,G議員の地元秘書でかねてから交際していたW(以下「W」という。)に対し,平成11年に行われた下関市長選挙で自派と対立するX候補を当選させないように活動して貢献したと主張して金員の支払いを要求し,300万円の提供を受けた。
 その後,被告人Bは,同年8月7日,借金の取立てに絡む傷害罪で逮捕されたところ,さらに,被告人B及びSの従業員U(以下「U」という。)は,同月30日,Wに対する恐喝罪で逮捕されたが,同年9月21日に起訴猶予処分となり,Uは同月26日に釈放され,被告人Bは同年10月26日に上記傷害罪につき保釈された。
イ 被告人Bと被告人Aとの面談等の状況(証人U,証人Y,甲72,73,87,88)
 被告人Bは,平成11年10月下旬ころ,被告人Aと再会し,同人に対し,恐喝事件の件でG議員の秘書にはめられたなどと述べた。その後も,被告人Bは,被告人Aに対し,G議員の秘書にはめられたと述べたのに対し,被告人Aは,お金がないなどと自身の窮状について述べるとともに,知り合いの内装工事会社の社長Y(以下「Y」という。)へ仕事を紹介するよう依頼した。
 被告人Bは,同年11月初旬ころに,Yに対し知り合いの業者を紹介し,そのころから同月中旬にかけて,Yに対しても,被告人Aに述べたのと同様に,下関市長選でX候補をG議員側から頼まれて当選させないよう活動したのに,G議員の秘書にはめられて警察に逮捕された,決まっていた仕事も流れてしまった,その点の補償もさせる,許せんなどと恨み言を言っていた。
 被告人Bは,同年11月15日前後ころ,被告人Aに対し,かなり興奮した様子で,G議員の秘書にはめられた,何かいい方法はないかと言ったところ,被告人Aから,「するに当たっては,先立つもんが要る。そのことをするにしても,自分の下のもんがするから,それに元が要るから。」などと返答された。
 そのため,被告人Bは,被告人Aに対し,Yにほかに仕事を紹介するから,それで金になるからいいだろうということを述べたところ,被告人Aはそれには納得せず,先立つものがないと動けないと返答した。
 被告人Aは,平成12年1月初めころ,被告人Bに対し,「うちで仕事をして金を取りやすくしよう。あとは,あんたが交渉しない。」と被告人A側がG議員側に追い込みをかけるので,それを被告人Bが利用してG議員側に金銭を要求すればよいと述べた。
 被告人Aは,同年3月中旬ころまでの間に,Fに対し,下関でのG議員に対する追い込みの仕事は,うまくいけば1億円,少なくとも5000万円の報酬が得られる旨述べた。
 被告人Bは,平成12年1月以降,恐喝で逮捕等されたことを理由として,G議員に対して民事訴訟を提起して損害賠償請求ができるかどうかを3人の弁護士に相談し,受任を依頼したが,同年4月ころまでに,いずれも断られた。
 被告人Bは,同年4月初めころ,被告人AやYに対し,G議員側は許せないとG議員側への怨念を述べて,G議員側を苦しめて金を取る,火炎びんを投げ付ける,けん銃で撃ち込むなどと述べた。その際,被告人Aは,被告人Bの話に同調しながら,Yに対し,G議員の家や事務所の所在地について尋ね,「仲間がいじめられとる,許さん。金にせないけん。1億くらいのことはもらわないといけん。」などと言った。(証人Y)
 被告人Bは,同年4月25日,下関市内の料亭「Z」において,被告人AやYが同席する場で,いつものようにG議員への怨念を述べ,被告人Aは,「金にせにゃいかん。」などと言い,被告人B及び被告人Aは,火をつける,火炎びんを投げる,けん銃を撃ち込むなどの具体的な方法を話し合っていた。
ウ G議員の自宅等の下見及び地図作成等(証人U,甲71,78,79,101)
 被告人Bは,平成12年4月27日,自宅に来た被告人A及びFに対し,Uに指示してG議員の自宅と後援会事務所の場所を地図等を用いて教えさせた。その際,Uが,Fに案内を申し出たところ,被告人Bからそうするように命じられ,FをIを目印として紹介しながらG議員後援会事務所前を通過した後,G議員の自宅まで案内したが,更に後に詳しい案内地図を作ることとなった。
 被告人Aは,帰りの車内で,Fに対し,「そろそろ仕事をせんといかんのう。火でもつけようかのう。とりあえずお前は今日の下見をよう覚えとけ。」と言った。
 Fは,下見の後しばらくして,被告人Aから,「Cに教えとけよ。」と言われたので,A組事務所にやってきたCに対し,「親父(被告人Aのこと)から聞いとるですか。」と尋ねたところ,Cが「聞いとる。」と答えたので,メモ用紙2枚にG議員の自宅や後援会事務所の場所や目印となるIの場所を書きながら説明した。
 被告人Bは,同年5月14,15日ころ,Uに対し,「明日,被告人Aと会うからG議員の後援会事務所と東京及び下関の自宅,筆頭秘書のA1の自宅,G議員の山陰の実家付近の地図を作ってくれ。」と命じた。Uは,G議員の自宅周辺,後援会事務所周辺,G議員の山陰の実家周辺等の地図を作成し,翌日,被告人Bに渡した。
 被告人Aは,Fと共に,同月11日から同月22日までの間に,被告人B方に,G議員の自宅や後援会事務所付近の地図を受け取りに行った。
 被告人Bは,同月19日ころ,Uに指示して,下関市長選に関する件及び恐喝事件等について納得のいく回答及び説明を求める文書を作成させ,回答期限を同月末としてG議員側に対して送付したものの,G議員側からは何らの回答もなかったので,同年6月1日ころに同月10日を期限として回答を求める文書を再度送付したが,やはり回答はなかった。
 被告人A及び同Bは,同年5月22日ころ,大分県の天瀬温泉のホテルで行われたCの出所祝いの際,Yに対して,G議員側の情報を提供するように協力を依頼した。
 また,被告人Aは,同年6月初旬ころ,山口県宇部市のホテルにおいて,呼び出したYに対し,その場にいたCを指しながら,「Gの件をこれにやらそうと思うとる。」と言った。
(3)第1事件実行及びその前後のCの言動(甲108,乙23,25,26)
ア Cは,Eと共に下関第1事件を実行した。
イ Fは,平成12年6月14日か15日の夜中ころ,Cの携帯電話に電話をかけたが,電源が切られていてつながらなかった。その翌日,Fは,Cに電話をかけて,Cの自宅に赴いた。その際,Fは,Cに対し,「昨日は,連絡が取れんやったですね。」と言ったところ,Cから,「仕事よ。」と返答を受けたため,「えーっ,声をかけてくれんやったですね。どこですか。」と尋ねたら,Cから「下関。」と言われた。
(4)下関第1事件後の地図送付(証人U)
 被告人Bは,平成12年6月14日,被告人Aに会った際,Uに電話をかけ,「Aさんが,地図をなくしたから,もう1回作っちゃってくれ。」などと言い,地図を再び作るよう命じた。その後,電話を替わった被告人Aは,Uに対しA組の事務所のポストに地図を入れるように指示した。Uは,下関市のG議員の自宅と後援会事務所の周辺の地図を作り,それを,同日夕方過ぎ,A組の事務所の郵便受けに届けた。
(5)下関第2事件の実行(甲110)
 Fは,同月16日午後5時から午後11時ころまでの間に,Cから,電話で,「下関に行くけ,店が終わったら事務所におっとけ。」と指示されたので,「はい,分かりました。」と答え,勤務していたマッサージ店の仕事が終わった同月17日午前零時前後ころ,A組事務所へ行き,Cを待った。
 その後しばらくして,C及びEが,C所有の自動車でFを迎えに来たので,Fは,同自動車に乗った。同自動車内はガソリン臭がしていたので,Fは,Cに対し,「どうするんですか。ガソリンでも撒いて,火をつけるんですか。」と尋ねたところ,Cから,「後ろにびんを置いとる。」と言われた。
 Cは,自動車を運転し,関門トンネルを通って下関市内に入り,G議員宅付近の路上に自動車を停車すると,Fに対し,「お前が投げれ。」と火炎びんを投げるように指示し,すぐに自動車のエンジンを切った。Fは,「はい。」と言って,Cの命令を了解し,びんに指紋を付けないために,「軍手か何かあるんですか。」と尋ねたところ,Cから,「後ろにあるけ。」と言われた。
 Fは,その15分から20分ほど経って,Cから,「行ってこい。」と言われたため,同日午前3時ころ,自動車のトランクから軍手及び火炎びんを取り出し,軍手を装着後,火炎びん2本に点火して,判示第2記載の犯行に及び,見張り役をしていたC及びEの待つ自動車の助手席に乗り込み,G議員宅付近から離れた。
(6)下関第2事件後から下関第3事件までの関係者の言動,行動
ア 下関第2事件後の被告人Aの言動(甲111)
 被告人Aは,下関第2事件が敢行された後で下関第3事件が敢行されるまでの間に,Fに対し,「まだ懲りとらんごとある。話が進まんごとある。まだせないかんのう。」と言った。
イ 下関第2事件後の被告人Bの行動(証人U)
 被告人Bは,平成12年6月17日より後の日に,Uに対し,「へましとるごとあるけIを見てきてくれ。」などと指示し,I及びG議員後援会事務所の様子を見に行かせたが,特に変わった様子はなかった。
 被告人Bは,同月26日か27日ころ,Uに命じて,電話をさせ,G議員側に対し,改めて納得のいく説明と回答を求めたが,G議員側からは忙しいと言われただけであった。
 被告人Bは,同月下旬ころ,Uに対し,やり方が手ぬるい,自分だったらもうちょっとちゃんとやるなどと言った。
(7)下関第3事件の実行(甲112)
 Cは,同月27日の昼ころ,A組事務所において,Fに対して,「また行くけ,今夜空けとけ。B1(マッサージ店のこと)が終わったら事務所におっとけ。出る用意だけしとけ。」と言い,同日の夜はA組事務所で待機するように命じ,Fはこれを了承した。
 Cは,自動車を運転して,同月28日午前2時ころ,Eと共に,Fの待つA組事務所に行き,「そろそろ行こうかのう。」とFに言い,自動車に同乗し,G議員後援会事務所に向かった。
 その車内で,C,F及びEは,Eの覚せい剤の未払代金や返済金についての催促の話などをしていたが,その際,Cは,Fに対し,「後ろに2本積んどるけ。表には車の通りが多いけ,裏に回れ。裏に回って,ガラスを打ち破って,中に置いて火をつけろ。ほっといても火がつくやろう。後ろに工具を積んどうけ,それを使え。もう1本は火をつけて投げとけ。」と指示し,Fはこれを了承した。
 Cは,G議員後援会事務所周辺を約30分から40分にわたって周回し,後援会事務所前の路上に自動車を停車して,更に10分間から15分間ほど辺りの様子をうかがった後,Fに対して,「いいぞ。」と言って,犯行を指示した。
 Fは,Eに対し,「周りを見とってくれのう。」と言って見張りを頼んだ上,自動車を降り,トランクから軍手を取り出して手にはめて,火炎びん2本及びタイヤレンチを持って,後援会事務所の裏側に回り込んで,判示第3の犯行に及び,C及びEの待つ自動車の助手席に乗り込み逃走した。
(8)S等への捜索及びUの事情聴取(証人U)
 平成12年6月29日,警察により,U方及びS事務所の捜索が行われ,Uは,警察から事情聴取を受けた。その後,被告人Bは,Uに対し,「しばらく,おとなしくしないといけない,盗聴されているかもしれないから,言葉には注意するように」などと指示した。
 被告人Bは,同年7月上旬ころ,Uに命じ,G議員側に再度納得のいく回答と説明を求めたが,G議員側は回答をしなかった。
 また,被告人Bは,同年7月中旬ころから8月の盆前ころまでの間,十数回にわたり,Uに命じて,パトカー等の配備状況を把握するためG議員後援会事務所周辺を見回りに行かせた。
 同年8月10日前後以降は,パトカーがG議員後援会事務所周辺からはいなくなっていたことから,被告人Bは,Uに対し,「おらんことなったのう。」と言っていた。
 被告人Bは,同月10日前後の盆前ころ,Uに対し,「またそろそろあるから,1週間ぐらい旅行にでも行ってこようかね。」などと話したところ,Uが,「自分がするわけでもないんで,どちらでもいいんじゃないですかね。」と返答した。
(9)下関第3事件後,Cらが試し投げをした経緯等(甲113ないし115)
 Cは,平成12年8月4日か5日ころにFがC宅へ来た際,Fに対し,「この前の件やけど,なんでつかんかったんかのう。燃えてないみたいやけ。作り方が悪かったんかのう。ちょっとEに電話して作り方聞いてみい。」と言った。
これを受けて,Fは,「Eやったら知っちょるかもしれんですね。聞いてみましょう。」と言って,Eに電話をし,火炎びんの作り方や使用するビールびんの種類を教えてもらった。
 また,Cは,Fに指示して,スタイニーボトルのビールびん4本を入手させ,その翌日ころ,C宅車庫で,「今から作るけ。投げてみらんといけんのう。」と言い,Fと火炎びん2本を製作した。その際,Cは,Fから,「また俺が投げるんですかね。」と聞かれたので,「いや,今度は俺が投げるけ。」と答えた。
 CとFは,その日のうちに,製作した火炎びん2本を自動車のトランクに積んで,試し投げをするために出発し,中途で福岡県中間市にあるEの居住先に行き,Eを同乗させた。Cは,Eが同乗した際,「今から,ちょっと試し投げに行くけのう。どこがいいかのう。」とE及びFに聞いたところ,Eが,「川のところがいいんやないですか。」と提案したことから,川沿いの適切な場所を探して,同市t1町所在のu1取水場に赴き,火炎びんの試し投げをした。
(10)下関第4及び第5事件の犯行準備と実行(甲116ないし118)
ア 被告人Aは,平成12年8月13日昼ころ,A組事務所において,知人に電話をして,「おう,兄弟,車がいるけ,段取りしちゃらんやろうか。後で,若い者に取りに行かせるけ。」と自動車の調達を依頼した。
 その後,Fは,CからEの家に来るように呼出しを受けたが,当時,謹慎処分を受けていたことから,被告人Aに対し,「副長(Cのこと)に呼ばれとりますけ,ちょっと出てきます。」と外出許可を求めたところ,被告人Aは,「そうか。」と言うだけで,何も聞かずに許可した。
 Cは,同日夕方ころ,中間市のEの当時の居住先において,E及びFに対し,「今日の夜行くけ。俺とトモ(Fのこと)は火炎びんを作るけ。C1は,組長から聞いとるか,車の段取りをしとけ。」と指示した。その指示を受けて,Fは,Eを犯行使用車両の調達先のある北九州市v1区w1まで送り,C宅へ向かい,Cと共に,アサヒスーパードライのスタイニーボトル2本にガソリンを注入し,その口部に布を詰め込んで,火炎びん2本を作った。その後,Fは,Cから,「後で来るから,事務所で待機しとけ。」と指示されたので,A組事務所に戻り待機した。
イ Cは,Eが借りてきた普通乗用自動車の助手席に同乗し,同月14日午前3時30分ころ,Eの運転でA組事務所に赴き,Fを後部座席に同乗させ,Fに,火炎びん2本を渡した。
 その際,Fは,自動車を運転したくなり,Eに対し,「運転代わっちゃろうか。」と言ったところ,Cから,「お前,遊びじゃないんぞ。」と怒られた。
 Cは,関門トンネルを抜けて下関市内に入ると,運転していたEに,「事務所の方に行け。」と指示し,車をG議員後援会事務所前に停車させた。
 Cは,軍手をはめて,助手席から降り,Fから火炎びん1本を受け取ると,G議員後援会事務所に近付き,同日午前4時1分ころ,判示第4の犯行に及び,すぐに,Eが運転する自動車の後部座席に乗り込み,その場から離れ,G議員宅へ向かった。
 C,F及びEは,G議員宅付近路上に自動車を停車させてエンジンを切り,10分ほど辺りの様子をうかがった上,G議員宅前路上まで自動車を進めた。
 Cは,Fから火炎びん1本を受け取ると,自動車を降り,下関第5の犯行に及び,すぐさま自動車に乗り込み逃走した。
(11)下関第4及び下関第5事件後の関係者の言動(証人U,Y)
 被告人Bは,平成12年8月の盆を過ぎたころ,Uに,「事件が新聞やテレビには出ていないが,ちゃんとやったんかのう。おかしいのう。」などと言っていた。
 Yが,同年8月終わりから9月初めにかけて,所用でA組事務所を訪れて被告人Aが事務所にいなかった際,Cは,ぼそっと「盆も行ったもんね。」と言った。
 同年8月のお盆ころまでの間,被告人Aは,Yに対して,「仕事をしたのに金が入らん,若い衆も使っとる,経費もかかっとる。」などと被告人Bについての愚痴をこぼしており,被告人Bは,「あんなことをしやがって」などと被告人Aについての愚痴を述べており,被告人A及び同BがYの面前で上記のような愚痴を述べあったこともあった(Y590項)。
 被告人Bは,同年9月上旬ころ,弁護士を通じて,G議員側は被告人Bの要求する見返りの金額は支払うことができない旨の回答を受けたために、週刊誌や新聞社にG議員の誹謗記事を書いてもらおうとしたが,いずれも断られた。

3 F,E及びUら関係者の供述の信用性について
(1)はじめに
 上記2の事実認定は,主としてFの捜査段階の供述並びにU及びYの供述によるものである。被告人Aと同Bが本件各下関事件の敢行を共謀したことについては,Fの捜査段階の供述並びにU及びYの供述,被告人Aが同Cに本件各下関事件を指示し,CがF及びEと共に犯行を敢行したことについては,Fの捜査段階の供述及びEの捜査段階の供述によっている。
 他方,被告人Bは,本件各下関事件について犯行の依頼を被告人Aにしたことを否認し,平成11年11月15日ころ被告人Aと会ったこと,平成12年4月27日自宅で被告人A及びFと会ってUにG議員事務所等を案内させたこと,その後Uに地図の作成を命じたこと,本件各事件後にUが供述するような言動をしたことなど共謀に関する主要な事実を否認している。
 被告人Aは,被告人Bから依頼されて知人の組員であるRにG議員側に対する攻撃を命じたことは認めているが,C,F及びEに実行を命じたことは否認している。
 Cは,本件各下関事件に関わったことを否認している。
 当裁判所は,Fの捜査段階の供述並びにU及びYの供述の信用性を肯定し,被告人B及び同Cの供述の信用性は否定し,被告人Aの供述は同Bとの共謀に関する部分の信用性を肯定して,その余の信用性を否定したので,以下,その判断の理由を説明する。
(2)U,Y及び被告人Bの各供述の信用性
 被告人Bが経営する会社の従業員であったUの供述は,下関第1事件前の被告人Bと同Aの接触の状況,平成12年4月27日被告人B宅を同Aが訪れ,FをG議員事務所等に案内したこと,その後,被告人Bに命じられてG議員事務所等の地図を作成したこと,本件各下関事件が敢行された後の被告人Bの言動を具体的かつ詳細に述べるものであって,その内容に照らして当時の体験事実をありのままに述べていると認められる自然なものであり,Uが当時業務上使用していた手帳のメモ等の客観的な証拠からも裏付けられている。Uの供述は,被告人Bと同Aの面談の状況等についてはFの供述とも符合しているし,Yの供述とも齟齬がないものである。
 Yの供述も,手帳のメモなどの客観的証拠に裏付けられたものであり,その内容も具体的かつ自然であって,UやFの供述と整合している。
 これらのことからすると,U及びYの各供述の信用性は高いと認められる。
 他方,被告人Bの供述は,U及びFが一致して証言する平成12年4月27日の自宅における被告人Aとの面会やUがFをG議員事務所等に案内したこと等証拠上優に肯定できる事実をも否定するなど,明らかに事実に反する内容であり,その細部を子細に検討するまでもなく,信用性が認められないものである。
 被告人Bの弁護人は,通常犯人は犯行の発覚を防ぐために安易に他人に犯行準備の進捗状況については話さないから,被告人BがUに犯行の詳細を話したことを前提とするUの供述は信用できない旨主張する。しかしながら,被告人Bは,G議員側への要求文書の送付や法的手段について弁護士との相談といったG議員側との圧力・交渉についてUを関与させているから,G議員側への圧力である暴力団による威嚇についての依頼状況をUに話したとしても決して不自然ではなく,弁護人の主張は採用することができない。
 また,被告人Bの弁護人は,U供述は,被告人Bから被告人Aに対しG議員攻撃の依頼があったと強調するもので,信用できないと主張するが,Uは,被告人Bと行動をともにしていたという自己の体験から推測した事実を供述しているに過ぎないし,被告人Bの部下であり,同人に対する恩義もあると考えられるUが殊更被告人Bを陥れることも考え難いのであって,Uがあえて被告人Bに不利な供述をしていることは,Uが事実をありのまま述べていて,その供述が信用できることを基礎づけるものであり,弁護人の主張は採用できない。
 被告人Bの弁護人は,Yの供述につき,被告人Bが被告人AにG議員攻撃を依頼した点についての供述が曖昧であることや,暴力団員でない被告人Bがけん銃で撃ち込んだり,宣伝カーを燃やしたなどの発言をするのは不自然であることなどを理由として,信用することができないと主張するが,直接の当事者ではないYが,攻撃の依頼についての記憶が曖昧であることは何ら不自然ではないし,被告人Bが興奮の余りけん銃で撃ち込んだり,自動車を燃やしたりしたなどと述べることも十分に考えられるのであって,弁護人の主張は採用することができない。
 被告人Bの弁護人は,被告人Bは,G議員側の裏切り行為によって下関市長選に落選したD1氏の代理人としてG議員側と交渉していたのであり,また,金銭的にも困っていないから,暴力団員に火炎びん投擲を依頼する動機がない旨主張するが,被告人Bは,下関市長選や大手スーパーマーケットの進出のために計画道路の変更を求めていたことなどを巡り,G議員側とトラブルになっており,金銭的解決の要求が満たされなかったことから,本件各犯行を依頼したことは十分合理的であるから,被告人Bの弁護人の主張は到底採用することができない。
 また,被告人Bの弁護人は,被告人Aが,被告人Bから報酬をもらうことなく,犯行を敢行していることから,被告人B以外の第三者が被告人Aに依頼した可能性もある旨主張するが,前記認定のとおり,報酬等の支払いを巡って,平成12年8月のお盆までの間,被告人Aと被告人Bとの間で愚痴をこぼしあっていたのであり,被告人Aが,依頼を受けていない被告人Bに報酬を要求することは考えられず,第三者が被告人Aに依頼したとは考えられないから,被告人Bの弁護人の主張は到底採用できない。
(3)F,C及び被告人Aの各供述の信用性
ア Fは,捜査段階では前記2で認定した事実と同旨の供述をしていたが,当公判廷では,被告人B方を訪れた際,被告人Aの指示で,Uに案内されて,G議員の自宅や後援会事務所の下見に行ったことは認めるが,捜査段階の検察官調書の作成経緯に関し,「精神的にも肉体的にも結構追い詰められてたんで,嘘でも供述せざるを得なかったからです。」とか,勾留されて10日も経たないうちに自白を始めたが,その間に追い詰められた旨,嘘の自白で,作り話をしたとも供述している。
イ そこで,まずFの捜査段階の供述である検察官調書の内容について検討するに,同調書は,同人が被告人Aに同道して被告人Bの自宅に行き,G議員後援会事務所や自宅の場所の説明をSのUから受け,更に現地の案内を受けたこと,被告人Aの指示によりG議員後援会事務所や自宅の場所をCに教えたこと,Cから犯行を指示されたこと,各犯行現場へ向かう車内でのFとC及びEとで交わされた会話の内容,各犯行現場の状況,各犯行状況,下関第3の犯行後に火炎びんの作り方をEに問合せた状況,火炎びんの準備状況,平成12年8月上旬ころ,Cと共にEを中間市内の居住先まで迎えに行って,遠賀川の河川敷まで行って火炎びんの試し投げをした状況(Fは試し投げをした場所に警察官を案内して特定している〔甲68〕。),下関第4及び下関第5の各犯行の前日にCに指示されて中間市内のEの居住先まで行き,その後Eと共にx1区のE1石油まで犯行に使用する車を取りに行った状況などを内容とするものであるところ,各犯行方法や犯行現場に赴く途中の車内の会話などについて詳しく述べていて具体的かつ自然であり,本件各犯行前後の関係者の言動などについてのUの供述に沿うなど,他の証拠とも符合する自然なものであって,Fが実際に体験したことを供述したものと認められる。
 特に,Fは,その検察官調書において,下関第2の犯行で火炎びんを実際に投げたのは,F自身である旨述べ,下関第3の犯行でもF自身が火炎びんを置いたり,投げたりしたが,火勢が弱く意図した結果が出なかった,下関第4及び下関第5の各犯行では,実行役のリーダーであるC自らが火炎びんを投げたと述べているところ,各犯行についての供述内容は詳細かつ具体的で,犯行現場の状況にも合致していて,実際に体験しなければ供述することは困難と考えられるものばかりであり,各犯行に至る経緯,犯行準備状況に関する供述も具体的で自然なものとなっている。
 また,本件各下関事件は,いずれも同種の小型のビールびんを用いた火炎びんが用いられ,夜間にその犯人が分からないよう実行されたという犯行手口の類似性を有したものであるが,このうち4件はG議員に関係する場所での犯行であるのに,残り1件については関係のない場所での犯行であって一貫しないことから,犯行動機や関係者については犯行態様からは判然としないところがあったが,Fの検察官調書においては,G議員に恨みを抱き,同人から金を取ることを目論んだ被告人Bが,G議員に脅しをかけることをA組組長である被告人Aに頼み,その組の仕事として,組員であるC,E,FがG議員宅や事務所への火炎びんの投げ込みを実行した旨述べて,その背景や動機,全体の概要についても語られているところであって,そこではG議員をターゲットにした暴力団組員複数による組織的な犯行であったことが明らかにされており,しかも,下関第1事件のみが関係のない場所であった点についても,Cが場所を間違えたものであることと間違えた理由を述べていることからも,下関第1事件の特殊性も矛盾なく説明しうる,整合的な内容を述べるものであって,この点からも,かなり信憑性が高いといえる。
 そして,Fの検察官調書においては,その犯行に用いられた特徴的な火炎びんの製作等についても詳細に述べられているところ,下関第3事件の犯行後,FがEに電話で火炎びんの作り方を聞いたとする点,C及びEと共に試し投げをしたとする点については,Eの当時の内妻F1(以下「F1」という。)が,Eが電話に出てFらしき人物に火炎びんの作り方を教えていたこと,あるいは,そのころ,EがFと思われる人物と一緒に「試し投げに行く。」と言って出掛けたことを証言していることに合致している。Fは,下関第4及び下関第5の犯行前日にEと一緒に中間市の同人の居住先から犯行に使用する車を取りに行ったが,その際Eに帽子等を準備するよう指示したところ,Eがビニール袋を持ってきた旨供述しているところ,やはり,F1は,平成12年8月の花火大会の日(8月13日と考えられる。)にFが中間市の居住先にEを迎えに来て同人は出て行ったが,その際,青色のビニール袋を持っていたとFの検察官調書における供述に合致する供述をしているのである。このように,Fの検察官調書における供述のうちの上記の各点にF1の供述が合致していることなどはFの検察官調書の信用性を高めるものである。
 この点について,Cの弁護人は,平成12年8月当時,F1には,生後間もない乳児がいたのであり,水道が使用できない状況であった中間市の居住先で生活していたとは考えられないこと,組織内での上位者であるCがわざわざ下位者であるEの居住先に出向くのは不自然であること,中間市の家の中からは道路を見ることができないから,電話中に突然Cが来たのを見たとする供述は不自然であることなどを挙げて,F1の供述が信用できない旨主張する。
 しかしながら,F1の供述は,その供述内容に照らして,自己の体験したことを記憶どおりに供述したものと認められ,全体として誠実に供述しているとうかがえるもので,内容も自然であり,また,F1は,Eのかつての内妻であり,殊更Eやその関係者に不利益な供述をすることも考えられないことからすれば,F1の供述は基本的に信用性できるというべきである。しかも,F1の供述によれば,F1及びEは,中間市の居住先に徐々に出入りして生活の基盤を築いていったと認められるから,同月当時に中間市の居住先で水道が使用できないからといって乳児が育てられないとは必ずしもいえず,同月13日ころに中間市の居住先にEが居たことは何ら不自然なものではないといえ,Cの弁護人の主張は採用することができない。
 また,火炎びん投擲の準備をしていることを周囲の人間に気付かれないために,Cの居住地にEを呼びつけるのではなく,Cが出向いて行くことも十分に考えられるのであるから,この点に関するCの弁護人の主張は採用することができない。
 さらに,F1が中間市のEの居住先にCが来たのを見たという点についてであるが,F1は,当公判廷において,電話中に来たとは述べていないからCの弁護人の主張は失当であるが,念のため同弁護人の主張を検討するに,F1は,Eといた際,Cの普段乗っている白い自動車が来たのを見たため,Eが,家から道路に続く階段を下りていってCと話していたと証言しており,家の中で見たとは述べていないから,やはりCの弁護人の主張は採用することができない。
 Fの捜査段階の供述経過をみると,Fは否認から自白に転じているものではあるが,当初は知らないと述べていたのが,取調べが進むにつれ,やがて下見など犯行への関わりを述べるようになって,遂に自らの実行への関与を認めるようになって,自白調書が録取されるようになり,続いて複数の自白調書の作成がなされているが,その自白調書の内容は,時間の順を追って詳しく本件各犯行や共犯者の動きについて述べられるようになっているもので,その間に自白と否認が交錯するといったような供述の変遷や動揺は見られないものであるから,このことは,むしろFの検察官調書の信用性を基礎づける事情のひとつというべきである。
 Fは,当公判廷で,捜査官による誘導や執ような取調べ等により,やむなく嘘の供述するに至ったなどと供述したが,そうであったとすれば,火炎びんを投擲した犯人が誰であるかを捜査機関は特定できないのであるから,それに乗じて,少しでも自己の刑事責任を軽減するために,関与は認めるとしても,下関第2及び下関第3の犯行で火炎びんを投げたのはF以外である旨述べることもできたとも考えられるのに,そのような供述は捜査段階ではしていないばかりか,前記のとおり,下関第2及び下関第3の犯行で火炎びんを自分が投げたことを述べた上,本件各下関事件の実行方法や犯行に赴く車内の会話などについて実際に体験しなければ供述できないと考えられるような臨場性の高い供述をしたのであって,この点からいっても,同人の公判廷における供述は信用できず,捜査段階で作成された同人の検察官調書の方が信用できるというべきである。
ウ Cの弁護人は,下関第3事件で使用したとされるタイヤレンチについてのFの説明は,純正のレンチホイールの形状と異なっていて不自然であると主張するが,事件発生から約3年強経過している取調べ時において,記憶が減退し,他の記憶と混同したりすることは十分あり得ることであるし,レンチホイールの先端の形状が特に正確に記憶されないとおかしいというような状況にあったわけではなく,レンチホイールを用いて犯行に及んだとの基本的部分の供述には変更はないのであるから,この点をもって,Fの捜査段階の供述の信用性が減殺されるとはいえない。
 また,Cの弁護人は,下関第2事件の火炎びんの投擲位置等に変遷があると主張するが,それらの供述調書の内容を対比しても,主要部分での変遷ということはできないから,供述の信用性に影響を及ぼすものではない。さらに,Cの弁護人は,Fが犯行等に使用したとする自動車について,当時Cが使用していなかったものや修理に出していたものがあるなどと主張するけれども,仮に同弁護人の主張を前提としても,本件各下関事件については犯行に複数の車が利用されていることにかんがみると,その点が正確に供述されていないとしても,Fの供述のうち各犯行状況に関する部分やCやEの関与を述べる部分は他の証拠によって補強されているから,Fの供述全体の信用性に影響を及ぼすものではない。
 Cの弁護人は,Fが,下関第2事件の際,G議員の自宅近くで自動車のエンジンをかけたまま10分ほど様子をうかがったと供述していることを前提として,そのような行動は不自然であると主張するが,上記認定のとおり,Fは自動車のエンジンを切った旨供述しているのであり,犯罪に及ぼうとする者が犯行場所で自動車のエンジンを切って外の様子をうかがうことは決して不自然ではないから,同弁護人の主張は失当である。また,Cの弁護人は,Fが,下関第3事件の際,G議員後援会事務所前に自動車を止めてエンジンをかけたまま事務所の周りを三,四十分徘徊したと供述していることを前提として,このようなことは不合理であると主張するが,Fは,CはG議員後援会事務所の周辺を自動車で三,四十分くらいかけて回ったが,逃げ道を確認したり,様子見をしていると思ったと供述しているのであって,弁護人の主張はFの供述を正確に理解しないもので明らかに失当である。さらに,A及び同弁護人の主張中には,Fが,火炎びんの試し投げの日時を平成12年8月13日と供述していることを前提とする部分があるが,上記認定のとおり,Fは火炎びんの試し投げの日時は同月5日又は6日ころと供述しているのであって,同弁護人の上記主張はやはり不正確で失当である。
 なお,被告人Aは,公判廷や上申書(弁3)でFの捜査段階の供述に対する疑問等を指摘しているけれども,Fの供述の信用性が肯定できることは上記のとおりであり,被告人Aが指摘する点はFの供述の核心部分の信用性を揺るがすようなものではない。
エ Fの捜査段階における供述のうち,Cが本件各犯行に関与したとする点については,被告人Aの知人であるYが,当公判廷において,平成12年6月初めころ被告人Aと会った際,被告人Aが一緒にいたCを指して「Gの件ではこれにやらせよう思うとる。」と言った旨証言したことや,Cが,平成12年8月終わりか同年9月ころ,Yに対し,「盆も行ったもんね。」と言ったなどと証言したことにも整合しているのであるから,Fの捜査段階の供述の信用性は基本的に高いというべきである。
 Fにとっては,被告人A及び同Cは組の上位者であるから,虚偽の供述をして被告人A及び同Cを陥れるようなことをすれば,両名ないしA組等の暴力団組織からいかなる報復を受けるやもしれないのであって,Fが自らの危険を顧みずに,あえて虚偽の供述をするとは考えられない。他に考えられることとしては,本件は暴力団による組織的犯行であるから,仮に組織の中の誰かの名を伏せるため,身代わり犯人を装い虚偽の自白を考えるということもあり得るが,そうであれば,捜査機関側は複数人による犯行とは知らなかったのであるから,Fの単独実行犯を装えば,辻褄合わせもしやすくなるし,他の組員に嫌疑を及ぼして迷惑をかけることにはならないはずなのに,わざわざ組織の上位者であるCまでも実行犯人として引き込んで虚偽自白をしたというのは,暴力団組織の一員である者の行動としてみても不自然である。
取調官から強く誘導されたわけでもないし,あえて他の組関係者を引き込むような内容の嘘をつくこと自体にも合理性に欠けるところがある。これらのことからしても,Fの捜査段階における供述は信用性が肯定できるものである。
 Fは,当公判廷で供述するに当たり,ビデオリンク及び遮へい措置を申し出て供述したものの,核心部分については黙秘して具体的な供述をしなかったのであり,本件の捜査段階の自白のCとの共同実行に関する部分はすべて嘘であるとの供述は,このような供述態度からみても信用性は低いものである。
 Cは,本件各下関事件に関与したことを否認し,とりわけ,平成12年8月14日の下関第4及び第5事件に関し,同月12日には大分県の別府に行き,翌13日午前4時ころまでには小倉の自宅に戻り,同日の午後6時ないし午後7時ころには門司のG1方に赴いて午後11時ころまで滞在し,その後自宅に戻ったので,犯行に関与していないし,同日中間市のEの居住先に赴いたこともない,同月上旬に火炎びんを作って試し投げをしたこともないと供述するほか,第10回公判においては平成12年5月11日から同年8月11日までぐらいはFやEには電話は一切かけていない自信があるなどと供述しているし,弁護人は,CがFと事件当時連絡をとった形跡は全く存しないと主張している。
 しかしながら,上記のCの供述のうち,平成12年8月13日の午前4時ころから午後6時ころまでと同日午後11時以降の自身の行動に関する部分は,これを裏付けるものがないのであり,それだけでは同日中間市のEの居住先に赴いていないことや下関第4及び第5事件に関与していないことをうかがわせるものではない。そうすると,Cが同月12日に別府に行ったことが認められ,かつ,同月13日にG1方に赴いた可能性があるとしても(証人G1の供述は,一応Cの供述に沿うともいえるが,CがG1方を訪れたのが平成12年8月13日であると断定できるものでもない。),FやF1の供述の信用性の判断には影響を与えないというべきである。
 のみならず,通話明細一覧表作成に関する報告書(甲181)によると,Cが当時使用していた携帯電話からFが使用していた携帯電話に対して,平成12年8月3日午後8時47分と午後9時36分に,同月4日午前11時18分と午前11時51分に,同月6日午後2時19分に,同月9日午前2時20分と午前11時37分に,同月11日午後7時52分に,同月12日午後8時38分(発信地域は大分)に,同月13日午後2時(発信地域は福岡)と午後5時29分にそれぞれ発信されて通話が行われていることが認められるのであって,これらの事実は,上記Cの供述や弁護人の主張と相反し,その信用性を著しく減殺するものであるばかりか,Fが火炎びんの試し投げをしたとする時期と下関第4及び第5事件の直前の時期にいずれもCと連絡をとっていたことを示すものであって,Fの供述の裏付けとなるものである。
 なお,上記報告書で確認できるのは,平成12年6月20日から同年11月20日までのCが使用していた携帯電話の発信状況であるから,下関第1及び第2事件前後の発信状況は結局不明である。下関第3事件(平成12年6月28日)の前後にはFの携帯電話への発信の記録はないが,Fの供述によると,下関第3事件についてはCがA組事務所に赴いて直接指示したというのであるから,そのころCからの発信の記録がないとしても不自然ではない。
 また,上記報告書には,Cの携帯電話の発信先の携帯電話の使用者としてEの名前が認められないけれども,上記報告書によると,Cはプリペイド式の携帯電話に頻繁に発信していることが認められるから,Eがプリペイド式の携帯電話を利用していたとすれば(平成12年8月上旬ころFがEに電話をして火炎びんの作り方を聞いたことは,F1の供述からも認められるところであり,Eが携帯電話等の通信手段を保有していたことは一応うかがえるところである。),上記報告書にEの名前が出てこないことは当然であるし,下関第4及び第5事件については,前日にEの居住先で会って打ち合わせをしているのであるから,携帯電話によって会話する必要がなかったとも考えられるのであって,上記報告書にEの名前がないからといって,Fの捜査段階の供述の信用性が揺らぐものでもないし,Cの供述の信用性が高まるものでもない。
 さらに,Cが下関第1事件現場付近の地図を手書きで記入し,近くに火炎びんが隠してあることを知らせる内容の記載の含まれた書面(甲184号証)を別人が所持しており,同人に対する捜索によって発見されている。Cは,留置中にこれを作成し,留置担当者に分からないよう同房者にこれを託したことを認めるものであるが,その作成目的については,ミスズという女性から,地図を書いて,ガソリンの入ったビールびん2本隠しているから下関に行ったときこれを捨ててきてくれと頼まれたことがあり,これを見つけてもらい,自らの嫌疑を晴らすため、その記憶に基づいて書いた旨を当公判廷等において述べている。しかし,自らの嫌疑を解消するのに資する証拠の存在を弁護人に告げることもせずに,外部に知らせようとしたということ自体が不自然であり,火炎びんの処理を頼まれたという話も唐突で,その経緯も曖昧な話をいうだけで,その裏付けもなく,その弁解は信用し難いものである。
むしろ,Cが第1事実の犯行現場付近の地図を作成するなどし,火炎びんの所在を暗に告げて罪証隠滅を図ることを意図して上記書面を作成した可能性が高く,上記書面を作成し,同房者にそれを委託したという事実は,Cが少なくとも下関第1事件に関与していることを推認させるものである。 
 以上検討したところによれば,Fの検察官調書は,全般的に信用性が高く,下関第2ないし下関第5の犯行の際,CがE及びFと共に犯行現場に赴いたなどとCの関与を述べる部分も十分に信用できるものである。Fの公判供述中これに反する部分及び本件各下関事件への関与を否定するCの公判廷における供述は,信用性が乏しく,採用することができない。
(4)Eの供述の信用性
 本件各下関事件への関与を認めるEの検察官調書の内容は,CとEとの平成12年6月ころの関係からみて,被告人Aから本件各下関事件の実行を指示されたCがその配下のEに犯行をすべて手伝わせることが自然であると考えられることからみて,首肯できるものである。その上,下関第2ないし下関第5の各犯行までの関与を認める部分については,前記のとおり信用できるFの供述と一致するから,Eの検察官調書は,概括的であるとしても,その供述する限度では信用性が認められる。
(5)被告人Aの供述の信用性
 被告人Aは,被告人Bから依頼されて知人の暴力団組員であるRに対しG議員側への攻撃を指示したことは認めるが,C,F及びEに指示したことや同人らとの共謀はないとしている。
 まず,G議員側への攻撃を被告人Bから依頼されたとする点について,被告人Aは詳細な供述をしないけれども,U,Y及びFの各供述からは,本件各下関事件の敢行前後に,被告人Aが被告人Bと接触して,G議員側への攻撃の相談や攻撃したことに対する報酬の支払いを巡るやり取りをしていたことが明らかであり,被告人AやA組にはG議員に対する怨恨等の本件各下関事件を起こす直接的な動機はうかがえないにもかかわらず,G議員宅等への5回も繰り返して執ように犯行を敢行したのであり,被告人Bからの相当に高額な報酬が得られるとの期待があって被告人Bからの依頼を引受けたということであれば,その動機や経緯は十分に了解可能なものといえるのであるから,この点に関する被告人Aの供述は信用性が肯定できるというべきである。
 他方,被告人AがG議員側への攻撃の指示はRにしたのであり,C,F及びEには指示していないとする点については,その経緯を公判廷や上申書(弁3)で述べるも,具体性に乏しく,真実そのような事実があったとうかがわせるような内容でない。また,事実の経緯を考えてみても,当初,被告人Aに同道させてFにわざわざG議員宅等の下見までさせたというのに,その後,上申書に記載するような理由だけで,Fから手を引かせて,Rに犯行を指示したというのは首肯し難いし,仮にFを除いてRに実行させることになったとしても,下見をして状況が分かっているFに対して場所や行き方の説明をRにさせてもおかしくないのに,そのようなことがあったこともうかがわれない。そして,何よりも本件各下関事件は,G議員側から金銭を得るために敢行されたのであるから,被告人AがRに実行させたというのであれば,事件を実行した後のG議員側等の反応を把握しつつ,更に事件を実行するかあるいは中止するのか等を検討するのが自然であり,そうであるとすれば,被告人Aは実行犯であるRと緊密な連絡をとりつつ合計5回の事件を敢行したはずで,その間のRとの連絡等の実情についても容易に説明できると考えられるのに,この点について被告人Aは,下関第1事件の後にRから連絡があったとはいうものの,その後はRがどのようにしたかは分からないとして,報告や連絡がなかったかのような説明しかしていないのであって,このことはそもそも,被告人AがRに実行を指示していないことをうかがわせるものである。以上のとおりであって,被告人Aのこの点に関する供述は,前記のF,E,Yの供述に照らして,到底信用することができないものである。
4 判断
 前記2で認定した事実によれば,被告人Bは,G議員側に金銭を要求したが,G議員側からそれを拒絶され,かえって恐喝未遂の疑いで逮捕されるに至ったことに恨みを持ち,当初は,損害賠償請求や虚偽告訴を理由とした示談を弁護士を通じて行い,多額の金銭を得ようとしていたが,それができないとなると,懇意にしていた被告人AにG議員への報復を依頼し,その被告人Aが,報復の実行をCに指示し,Cが下関第1事件ではEと,下関第2ないし下関第5事件ではE及びFと共に犯行を敢行したものであることが明らかであるから,被告人B及び被告人Aは本件各下関事件を敢行することを共謀し,被告人Aにおいて,配下のCに本件各下関事件の敢行を指示し,これを受けたCは,被告人Aの命を受けたFから,G議員宅や後援会事務所の位置を教えてもらい,Eと共にIをG議員後援会事務所と間違って,下関第1事件を敢行し,下関第2及び下関第3事件は,F及びEと共に赴き,Fに命じて火炎びんを投擲させ,下関第4及び下関第5事件では,F及びEと共に赴き,自ら火炎びんを投擲したことが優に認められる。
 以上から,判示第1のとおり認定した。

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